廃墟からの公園:未来へのイマジネーション
日本の近代産業遺構の廃墟を上空から撮影した高精細な映像やCGによる映像が多数連結されたインスタレーション、映像の絨毯である。
公園と比較する意味で、同じく近代化の下に生み出され、時代の潮流の中で急速に役割の終焉を迎えた近代化産業遺構の「廃墟」をフィールドワークし、映像収録をおこなってきた。囲い込みによる土地機能の限定化から勃興した西洋の産業革命が、近代化の一つので溯源であることを考えると、終焉を迎えた近代化産業遺構と、時代の潮流から切り離され、浮遊した存在である公園とは、ある意味で陰陽の関係にも見えてくる。特に、廃墟となった近代化産業遺構の現在進行形の姿として、自然が浸食していく緑化のディテールにも注目して観測する。
移動する公園:知のアーカイヴとしての織物
床面を覆いつくす巨大な絨毯(京都の西陣織)が、各地の公園、廃墟、絨毯の織機から集積した映像と音によるインスタレーションとともに現れる。絨毯は、会期中にも京都の工房で織り続けられ、会場内に増殖していく。
膨大なアーカイヴに対峙し、それを紐解こうとする時、人間の知識や知覚は頼りなげなものに映る。「プロミス・パーク」では、様々な文化圏にみられる文様(パターン)のように、抽象化された情報同士の跳躍的な結合をもたらす発想の根幹として、東洋の神仙思想における「縮地」の概念に着目してきた。長大な時間が積層した都市空間のイメージは、織物として縮約される過程で文様として抽象化され、さらに経糸と緯糸というバイナリに解体されていく。このような過程を経て生成される絨毯は、膨大なアーカイヴが縮約された知のアーカイヴとして捉えることができ、さらに空間に展開することで、新たな人間の身体や知覚を発動させる表徴となりえる。公園/庭園は、多様な景観を圧縮して冷凍保存する装置であり、東洋の庭園は、抽象化と縮約をきわめる究極の空間と考えることができる。このような縮地の観点からみると、絨毯を移動する公園/庭園とみなすことも可能である。