ROUND TABLE
開催日時 3月7日(土)18:30〜19:30
参加作家(RAM研修生、フェロー)に加え、RAMプロデューサーの桂英史教授や、参加作家でありVISIONS CIRCUITプログラムディレクターの玄宇民も登壇し、上映作品について語りあいながら同時代芸術をめぐるディスカッションを深めていきます。
VISIONS CIRCUIT 2025–26
要申込 申込受付中
東京藝術大学大学院映像研究科RAM Associationの研究生やフェロー、招待作家の全18作家による実験映像やアートフィルムを上映します。上映プログラムの最後には、桂英史(東京藝術大学大学院映像研究科教授)や、VISIONS CIRCUITプログラムディレクターの玄宇民なども登壇するトークも実施します。
池添俊、尹苑、上野貴弘、國友勇吾、斎藤大幹、Joyce Lam、武政朋子、藤井翔太、松本桂、安田朱里、山科晃一
玄宇民、トモトシ、潘逸舟
Ikhyun Gim、Eric Baudelaire、Jiyoung Yoon、Bruce Conner
作品上映 1
作品上映
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作品上映
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《A Windy Day》は、公園を行き交う人々の姿を反復的に捉えながら、私たちの「見る」という行為が、どのように分類や判断へと変換されていくのかを問いかける映像作品である。
歩行や身振りといった反復される行為に対し、言葉は選別し、名付け、意味を固定する。映像に挿入される言葉は、注釈や補助情報のように断片的に現れ、本来は理解を助けるための言語でありながら、本作では関係性や役割を即座に安定させてしまう装置として機能する。その過程を通して、観る者は自らが無意識のうちに他者の関係性を読み取り、ラベルを与えていることに気づかされる。
2026年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
コンセプト・撮影・台本・編集:ジョイス・ラム
作品上映
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日本野鳥の会の創始者であり、歌人・詩人、また深大寺の僧侶でもあった中西悟堂(1895–1984)は、「野の鳥は野に」という思想のもと、籠の中で愛玩や狩猟の対象とされてきた鳥を自然へ解き放ち、野外で観察し楽しむことを提唱した。「野鳥」という言葉を生み出したのも悟堂である。本作は「野鳥を観察する」という人間の振る舞いそのものを主題とし、観察する者が同時に観察されているという関係性を描き出す。人間の行為を反復・模倣する「役者」という存在を用い、同じ芝居を繰り返すことで、鳥が籠から解き放たれる一方、人間は「観察」という振る舞いの籠に閉じ込められているという視点を立ち上げた。悟堂が散歩道としていた野川周辺をフレーミングし、フィクショナルな「観察映画」を創出する。
2025年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
監督・編集
作品上映
/6
本作品は、「理想の家」を象徴するドールハウスのようなインスタレーションが、1ヶ月の展示期間中に行われた3回のパフォーマンスによって段階的に解体され、ゴミ収集日に段ボールの資源ごみとして回収されるまでのプロセスを記録した映像である。虚構として価値を与えられた一つ一つの造形物としての「箱」が、再び素材としての「箱」へと還元され、現実の時間軸に戻り、制度に触れ、そして他者の手に渡る――その瞬間とは何を意味するのだろうか。
2025年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
監督:尹苑
パフォーマンス:尹苑
撮影:Ab、尹苑
編集:Ab、尹苑
協力:リ・アンチー(キュレーター)、カトリン・ビョルグ・グンナルスドッティル(キュレーター)、The 5th Floor、ウルフ・ブラギ・エイナルソン、梅澤美音、呉瑋瑩、ヨウ・カリ
作品上映
/6
遺影用のポートレートを、一枚だけ撮影することにした。撮影時、スチルカメラのレリーズは被写体に手渡され、自身の準備が整ったと感じた瞬間にシャッターを切ってもらう。私はシャッターが切られるまでの時間をビデオで記録し、切られた時点で撮影を終える。
このポートレートは、遺影になるかもしれないし、ならないかもしれない。遺影とは、生き残った他者が死者の写真のアーカイブの中から選び取る像だからだ。遺影として撮影された写真であっても、その像が遺影になるかどうかは、撮られた本人の手を離れて決まる。
ロラン・バルトは『明るい部屋』で、写真のノエマは《それは=かつて=あった》であると述べている。被写体が現実に存在していたことを証明すると同時に、それがいずれ失われることをも告げる。そこでは、すでに死んでしまった過去と、これから死ぬ未来が、ひとつの像の中に圧縮されている。
私が関心を抱いたのは、その圧縮が起こる直前の時間だ。シャッターが切られるまでの時間は、過去と未来の死がまだ一枚の像に圧縮されていない宙づりの状態にある。身体は、まだ終点の定まらない時間の中に置かれている。
2026年 / シングルチャンネルビデオ / HD / カラー / ステレオ
監督・撮影・編集:上野貴弘
出演:萩原富士夫、高村太造、吉田尚子、上野若菜、石谷久子、上野貴弘
協力:RAM Association: Research for Arts and Media-project、伏見町POPEYE、飛行堂写真館
作品上映
/6
その人が言葉を発しなくなってから数年が経つ。長電話が好きだった彼女から、わたしの携帯に着信が届くことはもうない。かつて見舞いに訪れた際、主治医は「彼女は現実世界よりも、夢の中にいたいのかもしれない」と言った。夢は記憶の再生産だと言われるが、彼女はいま、どんな夢を見ているのだろうか。彼女の入院から2年後、パンデミックが起こり、面会はできなくなった。わずか数年の時間の隔たりのなかで、わたしはその声を忘れかけている。ホームビデオから聞こえてくる彼女の声は、何度もわたしの名前を呼んでいるのに、わたしはそれに返事をしなかった。もう遅いかもしれないが、いまわたしが呼びかけたら彼女はそれに応えてくれるだろうか。2021年、母の日。彼女が行きたいと言っていた街で、薄紫色のトルコキキョウを買い、久しぶりに電話をかけてみる。夢から醒めてほしい気持ちと、安らかに夢を見続けて欲しいという気持ちと共に。
2026年 / 8mmフィルム / デジタル / カラー / サウンド
出演:池添俊、村上由規乃
声:和納春美
撮影:飯岡幸子、空音央
音響デザイン:林暢彦
協力:フラワーショップはやし
監督・編集:池添俊
作品上映
/6
競走馬としての役割を終えた馬の多くは行き場を失い、やがて社会の表舞台から姿を消していく。中には、肉として売られる可能性もある。本作は、そうした馬たちを引き取り、世話をしながら新たな役割を与える人々に焦点を当てたドキュメンタリーである。かつて勝敗や記録によって価値づけられていた馬たちは、競馬場の外で異なる時間の流れの中を生き、映画という場において新たな存在として姿を現す。 カメラは馬の過去や成績を語るのではなく、現在の姿に静かに寄り添う。馬とともに歩き、触れ、手入れをする日常の行為を通して、世話をする人間の側にも変化が生まれていく。最後にスクリーンに映るのは、すでに亡くなった一頭の馬である。映像の中でその姿は繰り返し立ち現れ、映画の中で生き続けている。本作は、スタント馬と関わった人々の時間や関係性を記録し、競走のあとにも続く馬の生のあり方を記録する。
2026年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
監督:藤井翔太、小西遊馬
撮影:藤井翔太、小西遊馬、佐々木優
編集:藤井翔太
特機:NKL、杉大輔、山内智史、大澤元洋
馬提供:Gocco Horse Village、辻井啓伺、大橋広明、大村由美子
撮影協力:磯貝志音、Timothy Shin、善永航、関口春琉
製作会社:Gurus Film Production
作品上映 2
作品上映
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作品上映
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本作品は、あるろう者の男性の人生を、短いエッセイとして描くパフォーマンス作品である。手話の動きや沈黙、視線、間といった非言語的な表現を通して、個人の経験が社会の中でどのように置かれているのかを示す。
舞台は駅構内の雑踏である。男性のパフォーマンスは人の流れの中に置かれ、ときに埋もれ、ときにすれ違いながら展開される。行き交う通行人たちも意図せずフレームに入り込み、匿名性や無関心といった社会の空気とともに、作品の一部を形づくる。
本作は、彼の人生をわかりやすい物語として理解させることを目的としない。観る者が安易に「わかった」と感じることを避け、意味が十分に共有されない状態をあえて保つ。後半、映像はサイレントへと移行し、そこで表現されている内容を作者自身も知ることはない。翻訳や説明を介さずに提示される手話のパフォーマンスは、「理解すること」ではなく、「向き合うこと」そのものを観る者に静かに促す。
2025年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
企画:斎藤大幹
撮影:大塚敬太
出演:サヤボー
作品上映
/4
今作はそれぞれの「私」を可変的な存在であると捉え、その揺らぎと変化を反復と重複により緩やかに描き出し、「個」の不確かさについて考察する。映像では、普通紙に印刷した2枚の写真を光源の上に裏返して重ね、水で濡らしていく様子を撮影した。2枚の写真のうち1枚は今作の語り手本人から提供してもらった写真、1枚は作者が彼女を撮影した写真である。水で濡らすことで図像は鮮やかに現れるが、その姿は固定されず、インクは流れ落ちていく。この映像はイメージの出現と消失が同時に起こるという矛盾した状態の記録ともいえる。生成される光景が、元の図像から穏やかに離れていく過程を追ったものである。そこに重なるのは語り手が自身のポートレートを見ながらとりとめのない話をする声である。その語りは一度話してもらった内容を何度も繰り返してもらう行程で収録された。台本はなく、記憶を頼りに語るため、少しずつ内容も言い回しも変化していく。それらの反復による差異を重ね合わせることで、言葉は意味から遠ざかったり不意に近づいたりしながら、目の前の風景の均衡をわずかにずらしていく。出会いを重ね、通り抜け続け、見知らぬ「私」を見つめる試み。
2026年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
撮影・編集:武政朋子
写真素材提供・語り:小山衣美
録音・整音:藤口諒太
作品上映
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本作は、2025年7月、山口県萩市にある国指定重要文化財 熊谷家住宅 にて撮影された。三和土と呼ばれる日本の伝統的な技法によって土間が修復されていく過程を記録している。三和土とは、水と石灰を混ぜた土を木槌で無数に叩き締めることで硬化させる工法であり、近年ではその技術を継承する職人は減少している。本作はインタビューやナレーションを用いず、代わりに、絶え間なく響く木槌のリズムや、砕かれ、練られ、固められていく土の形状変化のみに焦点を当てている。技術を後世に伝える記録であると同時に、それを超えて、一つの自律的な運動体として再構成することを目指した。
2025年 / シングルチャンネル / 4K / カラー / 音声あり
監督・撮影・録音・編集:松本桂
企画:江口智之
作品上映
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MINIMとは、ニ分音符(half note)の意味である。この単語は、後ろからも読んでも意味が伝わる回文になっている。この二つの単語が並ぶと、二つの二分音符は四拍子となり、それは楽譜上で曲を構成する最小単位、つまり一小節になる。並んだ同じ単語は一つの世界であり、これから繰り広げられる時間の起点となる。
本作は、アルコ藝術劇場四十周年を記念するアーカイヴ・プロジェクト「夜のプラットフォーム」(2021、企画:ヒョン・シウォン)の委託制作として紹介された。何人もの無名のカメラマンが、40年に渡って劇場の内外を記録した写真の山やデータを見ているうちに、途方に暮れてしまった。数十万枚、いや、数百万枚以上の写真を全部見ることもできず、見たとしても全て憶えられなかった。一枚一枚は一瞬を切り取っているが、その一瞬の塊は大きく重かった。本作を制作しながら、写真を見る行為の重さについて考えさせられた。なぜ写真は重いのだろうか。その疑問に答えるべく、私は軽い写真の秘めた重さから、軽い写真の方へと視点を移して考えてみた。しかし、タイトルが回文だからだろうか、写真は今もなお重くて軽く、また軽くて重いままだ。
今、以前と以後は残っている。消えてしまったものや、まだないもの。それは、以前の今で、以後の今である。この劇場で、一時的に生まれては消えてしまった前後の時間を、見ようとした。音の終わりから、音のはじまるときに、立ち戻ってみること。それができるのは、演奏した曲の楽譜が存在し、演奏している様子を写真や映像に収めたものや、文書として残っているからだ。私は、アーカイヴと劇場の音を音の速さで動かしてみて、その動き方を観察することにした。音は極度に短く、早く動くため、時間を小刻みにして観察する必要がある。目には見えなくても、早く動く音の速さを捉えようとした。カメラのシャッタースピードを上げて雨粒を撮影するのと同じように、時間を細分化し、小刻みになった時間を引き伸ばして見る。そうすることで、一瞬は一秒、一分、一時間、一年、そして40年になるであろう。その昔、劇場に溢れていた音は、どんな形をしていたのだろうか。
2021年 / シングルチャンネル映像 / カラー / 音声あり
作品上映 3
作品上映
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作品上映
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超重症児(者)と呼ばれ、意思疎通も難しいとされる帆花さん。そんな帆花さんと共に暮らしてきた母・理佐さんが過去に綴られていた「ひとのこころはどこに存在するのか」という言葉が、出会って10年以上経つ現在でもずっと私の中にありました。本作はその問いを元に、ケア、言語・非言語のコミュニケーション、相互性などのキーワードを念頭におきながら制作しました。
帆花さんだけでなく、決して全てを理解することのできない「他者」という存在。その距離とわからなさを見つめながら、他者といかにつながっていくことができるのか。倫理的な側面を踏まえながらも映像イメージがその溝を超え、ドキュメントの枠組みからも離れた形でどれだけ思考を変容できるのか、その可能性を考えました。
2026年 / シングルチャンネル / HD / カラー / 音声あり
撮影・編集:國友 勇吾
協力:西村家のみなさん
作品上映
/4
本作は、マイクロプラスチックを分解する酵素『PETase』を起点に、プラスチックの原料である石油の産地、UAEで展開される。石油は、数百万年前に海底へ沈んだ微生物の死骸が、長い時間を経て形成された化石燃料である。 プラスチックはしばしば廃棄物と見なされるが、本作では産業システムの循環そのものに寄生する副産物として捉え、さらにそれを食べる「ハイパー・パラサイト」の糧として、別の関係を結び直す。
説明的な語りは用いず、微小プラスチックペレット、ナイロン袋の切れ端、タイヤ摩耗粒子、10世紀キャラバン宿跡の石材が風化して現れた貝殻の塊など、異なる眼のもとで立ち現れる物質の姿を、詩と音楽によって構成している。ラクダの眼は非人間の知覚として、詩と顕微鏡映像の双方に配置されている。
英国の海岸のプラスチックごみを扱った映像作品『キメラ』(2018年)の続編として制作され、海だった地層、遊牧的記憶、急速に発展する人工的都市などが重なり合うUAEの土地において、視座が揺らぐ状態が立ち上がる。
観客は、可視化された物質が自身の体内にも既に及んでいる可能性を前にして、環境と身体の境界をめぐる問いに置かれる。
2026年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
監督、撮影、編集:安田朱里
音楽・サウンドデザイン:アバウトフェイス
顕微鏡映像協力:カリファ大学コリドン研究室
アラビア語朗読:リリー・アリー
作品上映
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昼過ぎのフィリピン・カリボの街で遊ぶ子供たちが、100ペソで自分の好きなものを買ってくる一連のシークエンスの記録。
2025年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
監督・編集:トモトシ
出演:Exzekiel Rein T. Cawaling, Christian Kenn nosotros, Loriz D laserna, Aiden the great from ilang ilang, Mathew pogi from Laserna, Dagolgol laserna, Shan. Ardan, John Andrei, Jeann STaladro, Loke jacob z Eusebio, Mark david matte
協力:国際交流基金マニラ日本文化センター、VIVA ExCon Aklan 2025、Orange Project、Aklan Trekkers
作品上映
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前年の民主的選挙により軍事政権が終わりを迎え、ソウルオリンピックが開催された 1988 年。その直前までを韓国で暮らした母、日本で生まれ留学を機に12 年を韓国で過ごした父、乳幼児期を過ごした作者。その三者が現在とは大きく異なる韓日を行き来する中で感じたことを語り、カメラはその残像を記録する。
2024年 / シングルチャンネル映像 / HD / カラー / 音声あり
撮影・編集:玄宇民
整音:藤口諒太
協力:Soorim Art Foundation
作品上映 4
作品上映
/0
作品上映
/1
本作では、日本赤軍の政治的かつ個人的な叙事詩が、未知へと彷徨いながら、故郷へと回帰する旅路、「アナバシス」として語り直される。1968年以降のイデオロギー的熱狂の真っ只中にいた東京からベイルートまでの旅路、そしてその「赤い時代」の終焉でみたベイルートから東京までの旅路。二人の登場人物によって、約30年にわたる革命左派の急進的少数派の軌跡が語り直される。この少数派の発起人だった重信房子の娘・重信メイは、その過程を間近で目撃していた。レバノンで極秘で生まれた彼女は、27歳になるまで地下での生活しか知らなかった。しかし、母が逮捕されると、突如、公の存在として生きなければならなくなり、彼女の第二の人生が始まった。他方で、日本の伝説的な映画監督・足立正生は、映画制作を止め、1974年に日本赤軍と合流してパレスチナに身を投じた。風景論(風景を撮影することで、偏在する権力構造を暴こうとした作家たちによる運動)の論者でもあった足立にとって、自発的な亡命を行なった27年間はイメージのない時間だった。なぜなら、レバノンで撮影した映像は、戦争中に三度にわたって破壊されてしまったからである。《重信房子、メイと足立正生のアナバシス そしてイメージのない27年間》はそのため、言葉、証言、記憶(そして偽りの記憶)によって構成される。二人の語りが折り合い、個人的な物語や政治的歴史、革命的プロパガンダ、そして映画理論が作品のなかで交錯する。30年にわたって行われた自己を見つめ直す作業で反復される中心的な主題は、イメージの問題である。すなわち、テレビの影響が強い時代に計画されたテロ行為に、メディアが反応し、生み出した公的なイメージと、闘争の混乱のなかで失われ、あるいは破壊されてしまった個人的なイメージである。実験的ドキュメンタリー映画の手法を採用し、スーパー8mmフィルムで新たな風景論的イメージとして撮影された、現代の東京とベイルートが重信メイと足立正生の語りに重なる。
2011年 / Super 8 mm and HD video / Color and BW
Director: Eric Baudelaire
Assistants: Eléonore Mahmoudian, Siska Habib
Camera: Eric Baudelaire
Sound: Diego Eiguchi, Philippe Welsh
Editing: Eric Baudelaire, Laure Vermeersch, Minori Akimoto
作品上映 5
作品上映
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作品上映
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ホロピダオはギリシャ語のΧοροπηδάωを韓国語読みにしたタイトルで、日本で言うスキップのことを指す。歩行とジャンプの間の動きを表すこの単語は、言語が変わると存在しない場合もある。だが名称の有無にかかわらず、見ればその動きがどんなものかは分かる。ユン・ジヨンは、表には現れないが重要な構造に興味を持ち、制作を続けている。本作では言語と宗教、物理的距離を越えた四人の友人と一緒に、互いの健康と無事を願う様子が映し出される。フェイス・キャスティング、ワックス(蝋)で作られたエクス・ヴォート(ex-voto, 捧げもの)、エジソン式蓄音機の蝋管を参照しながら、ユン・ジヨンは物語を展開してゆく。韓国語で書かれた台本は英訳されたのちに、ギリシャ語・スペイン語・フランス語に翻訳され、作家の友人四名によって読まれた。4名のうち2人は母国語と母語が同じだが、ほかの二人は母方の言語が自国の言語と一致しない。
2024年 / シングルチャンネル映像 / カラー / 音声あり
作品上映
/3
2011年、私は東京から青森まで自転車で向かった。太平洋沿いを転々としながら、北に向かう私の身体は、重力ではなく住んでいた土地の引力に引っ張られているかのようであった。途中で偶然にも、ボランティアをする同じ小学校を卒業した年配の方に遭遇した。その出会いは、私たち人間にも隠された引力があると確信した時間であった。初めて通る土地の海は、いつものように波が押し寄せ、何ごともなかったかのようにどこかへと消えてゆくことを繰り返す。無限に押し寄せる波にも、戻る場所はあるのだろうか。
2011年 / シングルチャンネル映像 / HD / モノクロ / 音声あり
©︎Ishu Han
作品上映
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「クロスロード作戦」とは、1946年から1958年にかけてアメリカがビキニ環礁で実施した23回の核兵器実験のうち、最初の2回を指す。この2回の実験で、長崎に投下された原子爆弾に相当するTNT火薬約2300万トンの威力を持つ兵器を爆破した。実験場の周りには700台以上のカメラと、約500人のカメラマンが配置された。この実験のために、世界に存在する約半数のフィルムがビキニ環礁に集められ、この爆破実験が歴史上もっとも徹底的に撮影された瞬間となった。
「1946年7月25日にビキニ環礁で行われた最初の水中原爆実験「ベーカー核実験」の、機密解除された国立公文書館の映像からコナーは、強烈な美を見出した。ひとつの爆発を、空・海・陸という異なる視点から、速度や距離を変えて捉えた23のショットに、パトリック・グリーソンとテリー・ライリーによる魅惑的な二重の音楽が合わさる。そうして破滅を、キュービスム的宇宙規模の崇高へと昇華する。」 ――ジョシュ・シーゲル(MoMA、映画部門キュレーター)
1976年 / 35mm / black / white / sound / Digitally Restored, 2013
Original Music by Patrick Gleeson and Terry Riley
Restored by UCLA Film & Television Archive
Courtesy of the Conner Family Trust and Michael Kohn Gallery, Los Angeles
© Conner Family Trust
開催日時 3月7日(土)18:30〜19:30
参加作家(RAM研修生、フェロー)に加え、RAMプロデューサーの桂英史教授や、参加作家でありVISIONS CIRCUITプログラムディレクターの玄宇民も登壇し、上映作品について語りあいながら同時代芸術をめぐるディスカッションを深めていきます。
上映期間:2026年3月7日(土)
| 上映期間 |
2026年3月7日(土) |
|---|---|
| 上映作品 | 5作品 |
| 関連イベント | 1イベント |
| チケット情報 | 鑑賞無料 要申込 |