わたしとYCAM
僕にとって……
「YCAMのこと、どう思ってる?」と 最近よく聞かれる。
2003年11月1日。僕がちょうど1歳になったこの日、YCAMは家の近所に開館した。小学生になる前から、母に連れられてしばしば中央図書館には来ていたが、小学生になってからは、放課後に友だちとフリスビーをするために中央公園に訪れるようになった。小学校の体育の授業では、「スポーツを上手にプレイする」ことで同級生に認められるという風潮があった。それが理由で、運動神経の悪い僕は、スポーツに対して苦手意識を持つようになった。でも、勝敗や上手さを気にしなくてよかったフリスビーは、ただの遊びだったからこそ楽しめた。フリスビーに疲れると、ついでにYCAM館内で展示中の作品を体験したりもしていた。小学5年生だったある日、友だちが「新しい遊び場ができた」と言い、僕を商店街に連れて行ってくれた。そこで出会ったのが、犬飼博士さんと安藤僚子さんの作品《スポーツタイムマシン》(2013年)だ。スクリーンに映し出された影と、かけっこをするこの装置に、僕は夢中になった。生身の人間でない相手と競争できることにも驚いたが、犬飼さんがその体験すらも「スポーツ」と呼んでいたことにはもっと驚いた。中学生になってからは、そんな犬飼さんが「未来の運動会」を始め、YCAMでも「未来の山口の運動会」を開催した。犬飼さんからも誘われ、僕も参加するようになった。「未来の運動会」は、運動会種目のスポーツを参加者同士で協力してつくり、実際に競技するイベントで、初めから決められている種目を競技する学校の運動会とは違った。そんな経験を経て、「スポーツはプレイだけじゃない」と気づき、自分でも「スポーツをつくることならできる」と、スポーツに対して前向きな気持ちになっていった。高校生になってからは、そうした知見が学校生活とも結びつく。文化祭で、水鉄砲ゲームをクラスのみんなでつくり、新作スポーツとして発表した。会場づくりもみんなと協力しながら完成させた。この経験は、「スポーツを一緒につくって楽しむことで、仲間と認め合える」ことを実感させてくれたし、僕は「人と関わること」が好きでスポーツにこだわっていたんだと気づかせてくれた。そして僕は、スポーツと違う方法で「人と関わること」にも興味を持ち始めた。高校生活最後の年にYCAMが実施した「搬入プロジェクト」は、集まった仲間たちと即興でミッションをこなしていく一体感が最高だった。その心地よさにハマった僕は「自分でもやりたい」と思うようになり、母校の中学校に協力してもらって現役の中学生たちと校内で「搬入プロジェクト」をやり遂げた。5歳以上も離れた後輩たちと友だちになれて、一緒に作品づくりの表現ができたことは自慢の思い出だ。YCAMは、僕の身近な存在としてそばにいてくれて、学校では習わない新しいことを体験させてくれた、教えてくれた。でも、そこでの学びは幻想で終わることなく、僕の日常に溶けていった。僕にとってYCAMは、学校と並ぶ「第2の学校」だと気づいた。