わたしとYCAM
いつしか遠くを近くに
「山口の対義語で 青森ってのがありまして……」
これは、この年明けにYCAMをぶらぶらしていた私をゲストに紹介してくれた時のYCAMのなべたん(渡邉朋也)さんの素敵な言い回しです。青森までの帰路で、私が青森にいるのも山口にYCAMがあったからだなぁと思い出していました。山口大学の2年生の頃にサポートスタッフ(アルバイト)の募集チラシを見かけて、YCAMに通うようになりました。監視社会をテーマにした、三上晴子《欲望のコード》(2010年)は特に衝撃的でした。鑑賞者の身体と響き合うことで、作品が現代社会の縮図となり、議論の場になる。その有り様は、今でも私の中での素晴らしい作品の基準です。機械&運動音痴な私は、技術的な補助より作品を伝える⇆受け取る部分に関わることが主でした。展覧会における監視の仕事は、アーティストから作品の説明を受けたり、鑑賞者の反応やスタッフの対応も目の当たりにできたのも刺激的でした。作品の不調に気づき、報告をすると、スタッフが現場で状況を細かく聞き取り、作品を細かく調整されていました。ミュージアムから「作品の死」を連想することもありますが、YCAMは作品を生み出し、さらにそれを育て、生き物として扱っているようでした。なかでもYCAMの会田大也さんからは大きな影響を受けました。大也さんが実施するワークショップは、作品のエッセンスを的確に伝え、いかに自分事として扱う術を受け渡すか、という考え方に常に満ちていました。いつしか美術史よりも教育普及に興味を持ち、YCAMが実施している市民参加型プロジェクト「meet the artist」を卒論で扱っていました。出来については口をつぐみますが、参加者が試行錯誤の中で獲得してきたものを知ったのは大きな収穫でした。施設から市民への一方向の経験の提供だけではなく、市民が自分で実行するための力と自信を付けていく状況を生むことも文化施設の価値だとわかったからでした。そのころ前町アートセンタ(MAC)(1)でのイベントにも参加していて、当時、国際芸術センター青森(ACAC)の学芸員さんだった服部浩之さんのトークで、現在私が働いているACACの存在を初めて知ることになります。後半はせんべいの創作料理のワークショップで、空腹だったからかトーク内容は覚えていませんが、鍋にせんべいを入れる東北の文化や青森の森の中のアートセンターは印象に残りました。就職試験の折にやっとACACを訪れたのですが、桃源郷に辿り着いたような気持ちになったのもよく覚えています。YCAMに着くと不思議な感覚があります。馴染みの場所でもあり、刺激を受けた特別な場所でもあるのです。なべたんさんとの再会のときもワームホールを発見するためにうろついていたのかもしれません。「青森の対義語で山口ってのがありまして……」と、今後YCAMをご紹介するときは、そんな枕を使ってみようと思います。人の心を遠くに向ける企画を生むことを夢見ていけるのは、本州の端から端まで私を連れて行ってくれたYCAMのおかげなのです。
- 山口市前町にあるシェアハウス型のオルタナティブスペース。2007年に当時、秋吉台国際芸術村の学芸員だった服部浩之らが立ち上げた。文中で触れられている時代は、会田大也の住まいとなっており、オルタナティブスペースとしては会田のほか、Life & eat Clubの津田多江子らによって運営されていた。